「川崎のあじさい寺」と呼ばれている「妙楽寺」(みょうらくじ:神奈川県川崎市多摩区長尾3−9−3)に咲くアジサイ(紫陽花)です。
「妙楽寺」を訪れたのは2006年6月以来、8年ぶり。お寺に着くと、8年前と変わらぬ満開のアジサイが迎えてくれました。
駐車場はこのすぐ右手にありました。
[カメラ]
Nikon D3s
AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR + Ai AF-S TELECONVERTER TC-14E II
Nikon Df
AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR
■『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか? ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』(アレン・ネルソン、講談社)。
2003年7月に発行された本です。
ご存じの方も多いかと思います。
ぼくはこの本のことも、アレン・ネルソンさんのことも、つい先頃まで知りませんでした。
この本を知ったのは、5月31日のブログにも載せた、日野市の七生公会堂での映画『標的の村』上映会ででした。
『標的の村』上映の後におこなわれた「トーク 高江・辺野古を語る」のなかの「ONE LOVE 高江の仲間たち」での会場からの質問への答えのなかで、この本のことが紹介されたのでした。
その質問とは、いま高江のこと、オスプレイや沖縄のこと、日本の平和や安全をめぐるさまざまなことに関心を持っているという方が、戦争はいけないという意見と平和を守るためには武力も必要だという意見と、自分のまわりにはまるで対立する意見があって、いったいどう考えればよいのかわからない、そういうことについてどう考えているのか教えてほしいといった内容だったと思います。
それへの回答の中のひとつに、戦争や平和ということについて考えるときに、いまの自分のいちばんのきっかけとなったのはアレン・ネルソンさんのことだったということが語られました。アレン・ネルソンさんは自分が体験したベトナム戦争での悲惨な思いを日本各地で語り続けた人で、その人のことばにとても感銘をうけた。ぜひともその本を読んでみて欲しい、それは『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』という本だと紹介されたのでした。
その本の名をメモしておいたので、その後、amazonで手に入れて読んでみました。
著者のネルソンさんは、2009年に亡くなっています。
この本は、ぼくに「やっぱり!」という思いを強く感じさせました。
貧乏を逆手にとられて、18歳で海兵隊に入隊した彼がたたきこまれたのは、人の殺し方でした。人を殺すことをなんとも思わない心でした。人を殺す人間になることが、えり抜きの海兵隊員として一人前になることでした。
海兵隊の彼らにとって、日本人は「ジャップ」であり、ベトナム人は「グークス」であり「ベトコン」であり、それは日本人、ベトナム人を心底さげすんで人種差別する言葉であり、その意味するところは、やつらは魂のない野蛮人、尊ぶべき同じ人間ではない=殺しても何をしてもかまわないという認識です。
そして彼らはベトナムで、無慈悲に人を殺しまくります。殺した記念に死体の耳を切り取り、ヒモを通して首からぶら下げたりして、殺すことを何とも感じなくなるというよりも、快感を覚えようになるというのです。
しかし、彼らには最高の勇士海兵隊という高いプライドがあり、それによって国家に貢献し、歴史にのこるという名誉をえらえるという恐るべき価値観がうえこまれているのです。
ほんとうの戦場は、かっこいいものではなく、敵のまちぶせや攻撃からいかに自分が生き延びるか、じつに殺さなければ殺される修羅場でした。
そして彼らは、なんのためらいもなく何人でも殺し、何度でも火を放って、女性や子どもや老人もみさかいなく残虐に皆殺しし、死体はただのモノとして積み上げ、勘定する、それが戦場、それが戦争というものだったのです。
「あなたは人を殺しましたか?」どころではない、殺すための訓練をうけ、殺すことを任務として、彼らは送り込まれたのでした。
ぼくが「やっぱり!」と思ったのは、まさにこのことでした。
ベトナムもそうだったが、イラクへのアメリカのなぐりこみ、おびただしいイラク人の犠牲、誤爆による無差別的な殺戮もなんとも思わないあの様相、それもこうした異国人を殺すことをなんとも思わない恐るべき考え方がたたきこまれているためだということです。これは、かつての日本軍の兵士も同じだったのでしょう。
戦争は、人間を鬼にする。
ほんとうなら、一人を殺しても重大な罪になるはずなのに、何人殺してもよい、殺せば殺すほどよい、それがなんの罪にもならないどころか、やればやるほど大手柄になるという、実にあってはならないことが、当然のこととしてたたきこまれる、それが軍隊、それが戦争。
この本の中には、沖縄は太平洋戦争で多くのアメリカ兵の犠牲の上に勝ち取ったものであり、アメリカの一部という感覚についても語られています。
アメリカ軍にとって日本や日本人とはまさにそういうものであり、平和を守ってくれているなどというものではないことがわかります。
高江が戦争訓練の「標的」として使われるということも、こうしたことから見ればあたりまえのようなこと。彼らにとって、日本人、沖縄の人々の抗議や反対運動など、野蛮人のたわごとくらいにしか見えていないにちがいありません。アメリカ軍が居座ること自体をやめさせなければ、彼らは好き放題やりつづけるにちがいありません。
ネルソンさんは、「あなたは人を殺しましたか?」のことばによって戦争の真実を語ることを自分の使命と考え、戦争がどんな悲劇をもたらすか、戦争から生まれるのは新たな戦争でしかなく、戦争から平和が生まれることなどけっしてないことを伝え始めたのでした。
さらに、沖縄にいまだに米軍基地があることを知ったネルソンさんが「沖縄のために何かをしなければ」と思い立って、そこで知ったのが日本国憲法9条の存在でした。
第9条
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
戦争を放棄する、戦力はもたない、戦争はしない。この第9条こそが戦争をなくす唯一の道だ、第9条の力を日本人みずからがもっと理解すべきだと思うとネルソンさんは語っています。
人は生まれ、やがて死んでいきます。しかし、その人生は、殺し殺されるようなものであってはならないと思います。
命を尊び、誰もが幸せに生きていけるよう、なによりもそれをまっこうから踏みつぶす戦争はぜったいにしない、させない、それが日本と日本人のあるべき道、あってほしい道だといまあらためて思います。
ネルソンさん、勇気を持って語りつづけてくれて、ありがとう。
あなたの思い、あなたの願いはこの日本できっと実現させてみせます。
ところがいま、あろうことか、「集団的自衛権」容認という、それは第9条をもろ捨て去ろうとするたくらみ、戦争を容認=戦争をねらうたくらみが、こともあろうに閣議決定というありえない手段で強行されようとしています。これはけっして見過ごすわけにはいきません。