「古代蓮の里」(埼玉県行田市大字小針2375-1)に咲く「行田蓮」です。
行田蓮(古代蓮)
行田市は、昭和46年、小針地内に公共施設を建設するため、造成工事を行いました。
昭和48年、池の水面に多くの丸い葉が浮いていることに気がつき、調べてみると蓮の葉であることがわかりました。
地中深く眠っていた行田蓮の実が、この工事によって掘り起こされ、その後、自然発芽したものと思われますが、本市のように多くの蓮の実が出土し、自然発芽して一斉に開花したことは、過去に例がなく、全国的にも極めて珍しいことといわれています。
これを、埼玉大学名誉教授で植物学の権威である江森貫一氏(故人)が調査を行い、当時古代蓮として知られていた大賀蓮の例を参考に、2500年から3000年前のものと推定されました。
その後、蓮の研究家である神奈川歯科大学の豊田清修教授が昭和49年から昭和50年にかけて、古代蓮について調査研究した結果、この蓮はかなり原始的なものであることが判明しました。
さらに、この蓮の実とその周辺の出土木片の年代測定をしたところ、1390年±65年前のものであるという結果が得られました。
これらのことを考え合わせると、この古代蓮は、概ね1400年から3000年前のものと推定されます。
[カメラ]
Nikon D3s
AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR + Ai AF-S TELECONVERTER TC-14E II
AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR
Nikon D300s
AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR + Ai AF-S TELECONVERTER TC-17E II
■ユダヤ教もキリスト教もイスラエルも、まるでデタラメ、何の道理もない
イスラエルは、ガザ地区を殲滅する勢いでパレスチナ人を殺しに殺しまくっている。
ユダヤ教の聖職者であるラビ、ドブ・ライオル、およびラビ4人が、ガザ地区のすべてのパレスチナ人の殺害の教令を出したという情報もある。
いったい、こんなことがユダヤ教の教えの上から許されるのだろうか。ユダヤ教というのは、異国民、異民族を徹底的に殺戮することをよしとするものなのだろうか。
ユダヤ教の旧約聖書の中に記述された指導者や英雄の中で最も重要な人物は、預言者モーセだ。
その有名な「モーセの十戒」には何とあるか。
1.私はあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである。あなたは私のほかに、何者をも神としてはならない。
2.あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
3.あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日の間、働いてあなたの全ての業をせよ。
あなたもあなたの息子、娘、僕、婢、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人々もそうである。
あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを忘れてはならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられたのである。
5.あなたの父と母とを敬え。これはあなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである。
6.あなたは殺してはならない。
7.あなたは姦淫してはならない。
8.あなたは盗んではならない。
9.あなたは隣人について偽証してはならない。
10.あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
この中に、明確に、「6.あなたは殺してはならない。」とある。
異民族なら、パレスチナ人なら殺してよいなどとは言っていない。
ユダヤ教が殺人をよしとしているということは断じてないのである。
イスラエルやユダヤ教ラビがガザの虐殺をよしとするということは、ユダヤ教、ユダヤ人のあり方に断じて違反しているし、そんなことをしたり、そんなことをよしとするなら、もはやユダヤ人でもユダヤ教でもなんでもないことになる。
ガザのこの事態を見て誰にも分かるように、だいたい、ユダヤ教そのものがなんの意味も力もないのだ。
モーセが「6.あなたは殺してはならない。」としたにもかかわらず、こんなに殺人行為をしても、唯一の神たる「ヤハウェ」は、なんの罰も与えてはいない。「モーセの十戒」を破ったからといって、何の罰も与えられてはいない。つまり、「ヤハウェ」にも「モーセの十戒」にも何の力もないということなのだ。
こんな非力千万なものを信仰するのはまったくバカげている。怖れる必要などなにもない。
ほんとの「宗教」なら、ほんとの「神」なら、「殺してはならない」ということに反したものに、厳罰を与えてみるがよい。
そもそも、イエスをローマ帝国に告訴したのがユダヤ教徒だからユダヤ人を迫害するということも実にバカげている。その下手人がユダヤ教徒だったからといって、ユダヤ教を敵視するなんてことはあまりに単純すぎる。仏教徒やキリスト教徒が人を殺したら、仏教やキリスト教徒はすべて殺人者ということになるか? バカバカしいというよりは、そんな屁理屈をもっともらしく教義としているということは、何かに利用されているとしか考えられない。
キリスト教のほうでも、新約聖書の「マタイ福音書」の5章21節には、「昔の人々に〈殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない〉と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである」として、「殺してはならない」ことは明言されている。
キリスト教についても、では殺人したからといって、何の罰も発生はしない。キリスト教にも、何も力もないのだ。要するに、言ってみているだけのことだ。だから、人間のつごうでいくらでも教えに背くことができるし、グロスマンがそうしてみせたように、「正義のため」なら殺してもいいことに適当に解釈することもできる。だからといって別に罰なんか下されないのだから、へっちゃらだ。
なんと言おうが、イスラエルの行為はなんらユダヤ教にもとづくものでもなんでもない。
中東の宗教や民族による戦争・紛争などというのもまったくのデタラメだ。
それは、ただの人間の野蛮な征服欲によるだけのものだ。
ユダヤ教だのキリスト教だのというが、そんなのは単なる衣に過ぎないうそっぱちで、みんなただの強欲な人間の行為にすぎない。宗教も民族もみんな、うそっぱちだ。だまされてはならない。まず、この正体をあばくことがかんじんだ。
すなわち、イスラエルには何の道理もない! イスラエル国家は、ユダヤ教でもユダヤ民族でも何でもない。
「あなたは殺してはならない」という教えに背いた時点で、イスラエル国家は、異端とかなんとかでもなんでもない、ただの殺人者・侵略者集団以外の何物でもない。
ユダヤ教やキリスト教が現実に戦争や殺人をよしとしているのは、安倍内閣の解釈改憲と同じで、つごうのいいように教えをねじ曲げて解釈改変しているにすぎない。教えに従わない、教えを改変する教徒や教会なんて、なんでもありはしない。宗教の衣を着た、ただの欲深き人間にすぎない。
そんな解釈改変行為に対して何の罰も下し得ないユダヤ教もキリスト教も、実は何の力もないデタラメの教えなのだ。
イスラエルの行為が何の罰もなしに行われている時点で、ユダヤ教はバカな人間どもの手で消滅してしまっている。
まっとうなユダヤ人、ユダヤ教だというのなら、ただちに殺戮をやめるべきだ。
「あなたは殺してはならない」(モーセ)
「神」よ、あなたにほんとうの力があるなら、イスラエルに天罰を与えよ! あなたの教えに背くものに天罰を与えよ! いまこそ、あなたの力を示せ!