「のむぎ平和のバラ園」(神奈川県横浜市青葉区寺家町〈じけちょう〉112)に咲く「アンネのバラ」から。
ずっと行ってみたかった「のむぎ平和のバラ園」。先日、横浜からの帰りに、日暮れ近くだったのですが、ふと思いついてナビを設定し、行ってみることにしました。
ここが「平和のバラ園」のある「NPO法人のむぎ地域教育文化センター」。
なんと、以前、自転車で何度かこのそばを通ったことがある、そんな遠くない場所でした。
以下は、Webにのっているいくつかの紹介文から。
高校中退者や不登校の子どもたちを受け入れるため、麻生区東 百合ヶ丘に 1991 年に創られた「のむぎオープン・コミュニティ・ スクール」。寺家町(じけちょう)の現在の場所へ移動した同スクールの畑の 一角にあるのが、このバラ園なのです。
スクールで平和教育にも力を入れていたところ、1998年11月13日のこと「のむぎO.C.S中等部」の15歳の少女たち3人が、兵庫県西宮にある「アンネのバラ教会」に到着しました。
横浜市青葉区寺家町の「のむぎ」を自転車で出発。
当時の新聞にも取り上げられ、多くの方に励まされる中、500キロの道のりを完走し、自炊とテントで過ごす10日間の感動の旅でした。
この旅は、3人が、自分たちと同じ15歳の時にナチスの強制収容所で命を落とした「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクについて学ぶ中で、「アンネのバラ」というバラがあることを知ったのがきっかけでした。
「自分さがしと真の平和を求める旅をしたい」そして、「私たちの手で”アンネのバラ”を育てたい」と。
三人の少女は教会から「アンネのバラ」の苗木をいただき、 これをきっかけに「のむぎ平和のバラ園」が作られたのです。
「アンネ」だけでなく、1977 年横浜市緑区 ( 現青葉区 ) で軍用機事故の犠牲となった林和枝さん親子をしのび、和枝さん の父・土支田勇さんが作りだした「カズエ」、1945 年連合軍 のベルリン入場を記念して名づけられた「ピース」などが 咲き誇る「平和のバラ園」へ、足を運んでみませんか?
道路をはさんだセンターの反対側に「平和のバラ園」がありました。
ネットで紹介されていた「アンネ」と「カズエ」と「ピース」のことが書かれてあります。
〈アンネ〉
ベルギーの育種家のデルフォルゲ氏が、アンネのお父さんのオットー氏の依頼を受け、作出したバラ。
アンネと同年齢でナチスの占領を経験したデルフォルゲ氏が戦争に反対し平和を願う心をこめてつくりました。
赤いつぼみが黄・オレンジ・ピンクへと変化する花には、失われた少女の才能が途中で奪われなければ多様に開花しただろうとの思いがこめられています。
1998年にアンネのバラの教会(西宮)から寄贈され、のむぎの若者たちによって大切に育てられています。
〈カズエ〉
1977年9月27日、のむぎのすぐ近くの横浜市青葉区(当時は緑区)荏田で「米軍機墜落事故」が起こり、林和枝さんと4才と1才の息子さんが亡くなりました。
このバラは、事故の犠牲者である和枝さんのお父さんが、二度とこんなひどいことを起こしてはいけないという願いを込めてつくりました。
この「事故」や「バラ」のことは、映画や絵本にもなり、のむぎ平和太鼓のコンサートでも上演されました。香りが素敵なバラです。
〈ピース〉
フランス人のフランシス・メイランド氏が作出したバラ。1945年に連合軍がベルリン入場の際に平和がヨーロッパによみがえるのを記念して「ピース」と命名して発表されました。
日本には1949年に横浜で開かれた貿易博覧会にサンフランシスコのバラ協会から親善の印として送られました。横浜市の花にもなっています。
この日、もう遅かったせいか、最初、ぼくのほかには訪問者のかげはなく、日暮れが近いなか、急いで撮っていたら、男の方が一人やってこられました。
ぼくに話しかけてこられたので、センターの職員の方だとわかり、いろいろなお話をお聞きすることができて、とても勉強になりました。
うかがったお話のこともふくめ、「平和のバラ」、しばらく紹介していきます。
[カメラ]
Nikon D3s
AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR + Ai AF-S TELECONVERTER TC-14E III
Nikon D750
AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR
〈Today Walking :15,294歩〉