2017.01.15 Sunday
上野東照宮 ぼたん苑(3) & 広島・長崎の火
「上野東照宮」(東京都台東区 上野公園9−88)「ぼたん苑」に咲いていた「ロウバイ」(蝋梅)から。
実は、11年前にここを訪れたとき初めて、ロウバイという花を目にしたのでした。
ちょっと梅にも似ているが、まるでロウ細工のようにつやつやした感じ、いったい、これは花なのか? どうしてこんなに黄色いのだろうと不思議に思ったのでした。
それ以降、あちこちでたくさんロウバイを見る機会ができ、そのうちに大好きな花のひとつになりました。
「ミニ水仙」も元気よく咲いていました。
これも大好きな「シロワビスケ」です。ここで会えるとは!
「上野東照宮」境内のすぐそば(外)にある「旧寛永寺五重塔」(重要文化財)。
「ぼたん苑」を観てまわった後、「上野東照宮」にお参り。
こちらが「唐門」。
健康・長寿祈願ほかいろいろ、パチパチ。
「上野東照宮」といえば、「唐門」のすぐ手前にあるこれ、「広島・長崎の火」のモニュメント。
「広島・長崎の火」の由来が日本語と英語で書かれています。
「広島・長崎の火」の由来
1945年8月6日・9日、広島・長崎に人類最初の原子爆弾が米軍によって投下され、一瞬にして十数万人の尊い生命が奪われました。そして今も多くの被爆者が苦しんでいます。
広島の惨禍を生きぬいた福岡県星野村の山本達雄さんは、叔父の家の廃墟に燃えていた原爆の火を故郷に持ち帰り、はじめは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。1968年8月6日、星野村は、この「広島の火」を「平和の火」として、村人の協力によって今日も灯し続けています。
核兵器の使用は、人類の生存とすべての文明を破壊します。
核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる緊急のものとなっています。
第二のヒロシマを
第二のナガサキを
地球上のいずれの地にも出現させてはなりません。
これは「ヒロシマ・ナガサきからのアピール」(1985年2月)の一節です。
1988年、3千万人のこのアピール署名と共に「広島の火」は長崎の原爆瓦からとった火と合わされて、ニューヨークの第3回国連軍縮特別総会に届けられました。
同年4月、「下町人間のつどい」の人々は、この火を首都東京上野東照宮境内に灯し続けることを提唱しました。上野東照宮嵯峨敞全宮司は、この提唱に心から賛同され、モニュメントの設置と火の維持管理に協力することを約束されました。
広範な人々のよびかけによって、翌89年4月、「上野東照宮境内に〈広島・長崎の火〉を灯す会」が結成されました。それから一年余、数万人が参加した草の根の運動と募金により、1990年7月21日、モニュメントが完成しました。
被爆45周年を迎えた8月6日に星野村の「広島の火」が、8月9日に長崎の原爆瓦から採火した「長崎の火」が、このモニュメントに点火されました。
私たちは、この火を灯す運動が、国境をこえて今緊急にもとめられている核兵器廃絶、平和の世論を強める全世界の人々の運動の発展に貢献することを確信し、誓いの火を灯し続けます。
1990年8月
上野東照宮境内に「広島・長崎の火」を灯す会
「核兵器をなくし
永遠に平和を誓う
広島・長崎の火」
核兵器廃絶、平和を願って灯り続ける「広島・長崎の火」。
こちらは、広島から「原爆の火」を持ち帰った山本達雄さんが2004年5月に亡くなる3年前に撮られたという貴重なインタビュー映像、星野村のとりくみのもようです。
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●家に灯った原爆の火 前編
●家に灯った原爆の火 後編
こちらは、上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会のWebサイト。
●上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会
なお、山本達雄さんの「原爆の火」を灯しているところは全国各地にあり、以前、2007年10月に訪れた徳恩寺(とくおんじ:横浜市青葉区恩田町1892)の灯籠に灯されている平和の火「こころ」と、その由来も紹介したことがあります。
日本全国で、山本達雄さんの「原爆の火」をもって、核兵器をなくし、平和を願うとりくみが続けられているのですね。
↓ ↓
●徳恩寺(4) 平和の火「こころ」
「広島・長崎の火」のそばにはこんなのも。
核兵器なき
世界のために
「茨城のみかげ石」
茨城石材産業守る会
二十世紀からの傳言
ともに平和と人生を語りたい
百年後の人びとよ
ここに私たちの手紙を埋蔵します
2000年 8月15日
「百年後の人びとへの手紙」
実行委員会
ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されて72年目、上野東照宮に「広島・長崎の火」のモニュメントがつくられてから27年目となる今年。いよいよ核兵器をなくすことをめざす国際的な大きなとりくみがはじまりそうなのです。
以前も書きましたが、ぼくはずっと疑問に思っていました。
毒ガスなどの化学兵器、細菌などの生物兵器等のように国際的な条約で戦争で使用禁止されている兵器があるのに、どうして核兵器は禁止されないのだろうと。
核兵器なんてそもそも違法兵器として、開発も製造も使用も禁止され、完全に廃絶されるべきではないのか、核保有国がどんなにいやがろうとも、他の禁止兵器のように国際的、人類的に禁止にしてしまわなくてはならないのではないかと。
じつは、そう考えるのはぼくだけでなく、日本中、世界中にたくさんいて、しかも非同盟諸国を中心とする多くの国々が、国連の舞台でずっと核兵器の違法化、禁止を求め続けていたのです。
そして、昨年10月27日、国連総会第一委員会では、123ヵ国の圧倒的多数の賛成で核兵器禁止条約の締結のための交渉を開始するいわゆる「核禁止条約交渉入り決議」が採択されたのです(ことし3月と6〜7月にその会議が開催されるみこみとのこと)。
国際的な世論と圧倒的多数の国連加盟国によって核兵器が違法と決定されれば、それは核保有国をきびしく縛り、追い詰めて、核兵器の廃絶にむけての現実的な歩みがはじまることになるのではないでしょうか。いまはまだ違法でもなければ使うこともOKで、すでに持っている国は持っててよくて、まだ持ってない国は持ってはダメというわけのわからない決まりになっているのだから、核兵器はダメとか、なくすなんてことにはまともに向かっていないわけです。
だいたい、核兵器を持っていることで、その使用をチラつかせることで他国を牛耳こめ、自国の「安全」「繁栄」を得ようとする道理抜きの「力」の立場などが横行してよいわけがありません。
それは、核兵器を持ちたがる国を拡大し、さらにより多くの核兵器を持ち、より脅しを強めるという危険きわまりない悪循環に陥り、戦争を近づけ、平和を遠ざけるだけです。そんな脅し合いによる「安全」などありえないことは明らかで、にもかかわらず核兵器にしがみつくのは「死の商人」「戦争屋」のもうけのため、さまざまな「利権」、そのおこぼれをもらいたい連中の腹黒い思惑でしかないのもミエミエです。
そんなことで人類の平和が保てるわけがありません。
武器を捨てろ、脅し合いをやめろ、核兵器をなくせ、戦争をやめろ!
---日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する(日本国憲法第9条)
ところで、昨年10月27日のその画期的な決議に、なんと「反対」したという日本の政府。じつはそれまでの国連での核兵器をなくすためのさまざまな決議にも「棄権」の立場を取り、核兵器をなくすという課題に背を向け続けてきたというのです。
こんな大事な決議が採択されたというときに、ヒロシマ、ナガサキ被爆国の政府が、なんたること!
「広島・長崎の火」にこめられた核兵器なき世界への願いをいったい何と考えるのか?
核兵器=武力による威嚇とその使用を容認するこの政府の行為は、明らかな憲法違反ではないのでしょうか?
アメリカも「反対」したということは、オバマの広島訪問と「空から死が降ってきた」というあの演説、プラハでの「核なき世界」演説もみんな耳障りのよい演出、口からでまかせだったのかということのよう。
核兵器を禁止することに「反対」にまわるような、「広島・長崎の火」の願いとはまるで相いれない、利権にまみれたいまの日本政府やアメリカにまかせていては、「広島・長崎の火」の願いは、あれこれの甘言にテキトーに愚弄され、ずっと踏みつぶされ続けて、永久にかなえることはできないのでしょう。
核兵器廃絶、平和を求める世界中の人々と力を合わせて、まず核兵器を禁止兵器にし、それを人類の決まりにすることが一日も早く必要なのではないでしょうか。
[カメラ]
FUJIFILM X-T1
XF55-200mm F3.5-4.8 R LM OIS
XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS
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